(23)【練馬区】西大泉町
【廃止年】1179番地以外は1981年
【沿革】
- 1891年 埼玉県との越境合併により大泉村が成立。(Wikipediaによれば西大泉町飛地部は大泉村大字小榑字小作1179番地)
- 1932年 東京市板橋區西大泉町
- 1943年 東京都板橋區西大泉町
- 1947年 東京都練馬区西大泉町
- 1974年 飛地(1179番地)がある事が判明。埼玉県へ編入の合意をするが、住民の反対で今も練馬区のまま(練馬区も新座市も何故飛地が生じたか把握していない)
- 1981年 飛地(1179番地)を除き住居表示実施。
【現在の町名】
【雑記】
練馬区で1番扱いが複雑な町名です。1区画だけ残っちゃってるから完全な旧町名じゃないんですもの。とりあえず何がなにやら紛らわしいので、【①旧町名としての西大泉町】と【②現行町名としての西大泉町(飛地部)】の2部編成で紹介します。
【①旧町名としての西大泉町】
現在の「西大泉」です。西大泉は1~6丁目まであり、住居表示実施済です。西大泉町なんて探せばたくさんあるっしょ!って思ったら「町○○番地」が綺麗に塗りつぶされた表札ばかり!!探査開始から20分くらい経って、やっと写真のを見つけられたした。
練馬区西大泉町は先述の通り、1179番地だけが、四方八方埼玉県新座市に囲まれながらのこっています。おそらく埼玉にいずれか編入するんだから住居表示実施しなくていいでしょ!ってことでしょうね。現行の西大泉町は言うまでもなく練馬区最小の面積の町であり、人口も最小です。
1974年にここに家が建つまでは埼玉県との認識だったようで、古い地図にはたしかに飛地なんて書かれていません。飛地の形成経緯は不明との事ですが、昔からここは畑だったので、東京側に居た人の畑だったんでしょうかね。
多分昔使ってたガラケーの写真探せば、現行の西大泉町の南部がまだ畑だった頃の写真はあると思いますが、ガラケーみつからないので仕方ない。畑だった場所に家が建ち、埼玉に編入どころか、もはや周りの埼玉の一部も巻き込むんじゃないかってくらいの拡大。どの地図が正しいのか分かりませんが、2011年と2018年の昭文社の地図を見ると、埼玉県側だった3軒が東京になっていたりします。何故だ。
(追記 2021-10-19)
2012年に撮影した西大泉町の写真、見つかりました!横向きなのは許してください笑
左が今は住宅地になっている畑です。