(68)[水戸市]赤塚町
【消滅した年】1975年
【町名の由来】不明
【現在の町名】赤塚1~2、姫子1~2、東赤塚、河和田1、見和3、石川3
【変遷】
- 1955年 水戸市赤塚町成立
- 1975年 消滅
【雑記】
赤塚町は1975年にかけて実施された町名合理化政策により廃止されました。住居表示実施ではありません。赤塚町は、現在の赤塚だけでなく、姫子や東赤塚なども含む広大な範囲でした。ちなみにですが、赤塚駅西と北側の赤塚には「巡見」(セブン前)、「北巡見」(マック前)というバス停がありますが、巡見は河和田町の字で、元来の赤塚町ではありません。
赤塚町の町域の大半が住宅地な上に範囲が広いため、複数の痕跡が見つかりました。赤塚町の「塚」の字は、本来は異字体の斜め棒が入るものですが、発見したものはいづれも普通の塚でした。
赤塚町には小字があったそうで、水戸市立図書館デジタルアーカイブに記載されていたものは、
- 岡田
- 姫子
- 南
- 北
- 北谷
- 西谷
- 宮前
- 宮西
- 宮東
でした。赤塚町が町名合理化した際に「姫子」といういかにもキラキラネーム地名みたいなものが誕生しましたが、実は赤塚町の小字が由来となる由緒正しき地名です。
赤塚町としては赤塚1丁目にある「赤塚町児童遊園」、小字は赤塚1丁目の「宮西児童遊園」、東赤塚の「宮西入口バス停」「宮東児童公園」「岡田橋」「岡田踏切」、姫子の「岡田バス停」がいまもなお、かつての地名をつたえています。
「宮」は位置関係的に「飯綱神社」のことではないかと推測します。
【参考文献】
水戸市立図書館デジタルアーカイブ,改訂 水戸の町名 地理と歴史,市内の小字名 河和田村赤塚,https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0820105100/0820105100400010/ht001390