(2)【練馬区】南田中町
【丁目・小字】無し
【廃止年】1973年
【変遷】
- 1889年 石神井村大字田中(小字は塚越、供養塚、下薬師堂、薬師堂、上薬師堂、田中新田など)
- 1932年 東京市板橋區石神井南田中町(田中新田のみ石神井北田中町、現在の三原台)
- 1943年 東京都板橋區石神井南田中町
- 1947年 東京都練馬区石神井南田中町
- 1949年 東京都練馬区南田中町
- 1973年 住居表示実施により南田中町消滅
【町名の由来】人名
【調査発見日】2020/7/13,2021/3/4
【現在の町名】南田中1~5丁目、下石神井6丁目、石神井町1丁目など
【その他】北田中町が三原台となったことにより、南田中町も新たな町名にしようと「南ヶ丘」を出したものの、当時流行った「鐘が鳴る丘」由来だったこともあってか、南田中存続が有力で現在に至る。南ヶ丘は「南が丘小学校」「南が丘中学校」「南ヶ丘商店街」「南が丘珠算塾」「南ヶ丘緑地」などに残る。教育施設は「南が丘」で、他は「南ヶ丘」なのは何か意味があるのかな。
南田中は南田中町時代には人口が少なかった為か、琺瑯看板は見つからず。南田中町の表札も一部地域に固まって残存していたような気がする。
南田中町の表札は近年一気に数を減らしていて、5丁目の新道開設記念碑のあったお宅(解体済)もその一つ。やはり南田中町廃止から半世紀近く経っているから仕方ないか……
現在は「石神井町」の都営南田中団地の一角にあったこの案内板。左上に「練馬区南田中町」と金文字で書かれていてびっくりした。この地図、練馬高野台駅開業以前のものだしよく残ったなぁ。