東京地歴探訪

東京近辺の旧町名を紹介します

はじめに(当ブログについて)

初めまして。ご覧頂きありがとうございます。本ブログでは行政上名前が消えてしまった町名、いわゆる「旧町名」を紹介しています。

旧町名の一例としては東京だと原宿、阿佐ヶ谷、淀橋など駅名や企業名になっているものもあります。中には三光町、新町みたいに旧町名らしくないものもあります。

旧町名は公園やバス停の名前ではよく見ますが、表札や街区表示板は古いもの程そうそう残っておりません。でもレアだと言われたら探したくなるのが僕です。というわけで東京23区と茨城県水戸市を中心に旧町名を探していこうと思います。

旧町名と一言で言っても、戦前から令和時代まで、多くの地名がひっそりと名前を消しています。僕は旧町名を復活しろというような活動家ではなく、あくまで旧町名を探しては見つけられたら自慢していくだけの人物です。

たまに旧町名だけでなく、町名は同じだけど地番時代の痕跡がある町の記事を投稿します。旧町名ブログやサイトはたくさんあっても、地番時代を紹介するブログなんて滅多に無いのでやってみたくって!それと、小字にも注目してみたいので、小字もゆるくやっていくつもりです!

 

好きな旧町名は「角筈(新宿区)」と「柿の木(杉並区)」です。よろしくお願い致します。

 

【追記】

旧町名の記事のリンク集をサイト内に作りましたので、もし宜しかったらご利用ください。下記リンクははてなブログ内ではないのでご注意ください。

リンク集(サイト内)

 

 

【宣伝】

同じく東京地歴探訪の名前でサイトを運営しておりますのでもし宜しければチェックしてみて下さい!主に「異形矢印」と「街区表示板」の記事です。

https://hanada-absol.jimdofree.com/

(68)[水戸市]赤塚町

茨城県水戸市赤塚町(アカツカ)

【消滅した年】1975年

【町名の由来】不明

【現在の町名】赤塚1~2、姫子1~2、東赤塚、河和田1、見和3、石川3

【変遷】

  • 1955年 水戸市赤塚町成立
  • 1975年 消滅

【雑記】


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赤塚町は1975年にかけて実施された町名合理化政策により廃止されました。住居表示実施ではありません。赤塚町は、現在の赤塚だけでなく、姫子や東赤塚なども含む広大な範囲でした。ちなみにですが、赤塚駅西と北側の赤塚には「巡見」(セブン前)、「北巡見」(マック前)というバス停がありますが、巡見は河和田町の字で、元来の赤塚町ではありません。

赤塚町の町域の大半が住宅地な上に範囲が広いため、複数の痕跡が見つかりました。赤塚町の「塚」の字は、本来は異字体の斜め棒が入るものですが、発見したものはいづれも普通の塚でした。

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赤塚町には小字があったそうで、水戸市立図書館デジタルアーカイブに記載されていたものは、

  • 岡田
  • 姫子
  • 北谷
  • 西谷
  • 宮前
  • 宮西
  • 宮東

でした。赤塚町が町名合理化した際に「姫子」といういかにもキラキラネーム地名みたいなものが誕生しましたが、実は赤塚町の小字が由来となる由緒正しき地名です。

赤塚町としては赤塚1丁目にある「赤塚町児童遊園」、小字は赤塚1丁目の「宮西児童遊園」、東赤塚の「宮西入口バス停」「宮東児童公園」「岡田橋」「岡田踏切」、姫子の「岡田バス停」がいまもなお、かつての地名をつたえています。

「宮」は位置関係的に「飯綱神社」のことではないかと推測します。

 

【参考文献】

水戸市立図書館デジタルアーカイブ,改訂 水戸の町名 地理と歴史,市内の小字名 河和田村赤塚,https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0820105100/0820105100400010/ht001390

(67)[水戸市]西原町

茨城県水戸市西原町(ニシハラ)

【消滅した年】1969年

【町名の由来】大字原の西側だから(推測)

【現在の町名】西原1~3、東原2~3、末広町3、上水戸1~4、松が丘1、自由が丘

【変遷】

  • 1968年 西原町の一部が住居表示実施により上水戸などとなる。
  • 1969年 西原町の残部が住居表示実施により西原などとなり、西原町消滅

【雑記】


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2021年8月5日発見。自分が発見したのは現・上水戸1丁目で、1968年に消滅した部分の西原町でした。西原町以下の番地は何も書かれていませんでしたが、これも立派な旧町名の痕跡です。ふつうに半世紀以上前の看板が残っているなんてすごいですよね。現在はタバコは売っていなさそうですが、別の日に訪れたら住人の方がいました。これからも建物と旧町名を守っていっていただきたいですね。

ちなみに、今も「西原」という町がありますが、旧町名の西原町から見るとだいぶ縮小しました。昔は保和苑から常磐大学あたりまでの広範囲が町域だったなんて今ではかんがえられないです。

(66)[水戸市]南袴塚町

茨城県水戸市南袴塚町(ミナミハカマツカ)

【消滅年月日】1969年5月1日

【町名の由来】袴塚町の南に位置していたから

【現在の町名】上水戸

【変遷】

  • 1889年 水戸市成立。南袴塚町は1934年の地図に確認できる。
  • 1969年 住居表示実施により南袴塚町廃止

【発見日】2021年5月23日

【雑記】


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本ブログでは初の水戸市の旧町名の紹介です。なぜ水戸市かって?実は管理人の縹は、進学の為に4月に水戸市に引っ越したんです。東京地歴探訪じゃなくて茨城地歴探訪になりそうな本ブログですが、名前は変えずにいこうと思います。

さて、水戸市には旧町名を記した石碑が設置されています。消滅年もしくは成立年と地名の由来が書いてあり、とても旧町名愛好家には役に立つ資料なのです。さて、南袴塚町の石碑には……と言いたいのですが、、、

南 袴 塚 町 に は 設 置 さ れ て ま せ ん !!

水戸市の見解では「現存」扱いだそう。たしかに今も「袴塚」という町名がありますけど、言っちゃえば「袴塚町」や「南袴塚町」とは別物なので設置してくれたら良かったのに…なんて思っちゃいます。

南袴塚町は現在の上水戸4丁目北部に相当する小さな範囲でしたが、痕跡を見つけられて良かったです。そういえば苗字としての袴塚の由来は水戸市の袴塚らしいですよ〜

 

(参考)

1,水戸市立図書館デジタルアーカイブ

(65)[杉並区]大宮前(1~6丁目)

東京都杉並区大宮前

【消滅】1969年

【変遷】

  • 1932年 東京市杉並區大宮前
  • 1943年 東京都杉並区大宮前
  • 1969年 住居表示実施により消滅

【現在の町名】宮前、高井戸東、西荻南

【雑記】


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写真のものは、現在は人の住んでいないアパートに残っていました。

大宮前は現在、「宮前」「西荻南」などになっています。現行町名の宮前の由来は大宮前の略称です。

「大宮前」といえば、西荻南のホーロー看板を思い浮かべる方も多いでしょう。しかし残念ながら今はありません。建物の所有者の方いわく、私の訪問日の前日に撤去されたらしいのです。どうやらホーロー看板を欲しいと名乗ってきた方が居たからあげてしまったそうです。無念。

でも、大宮前というのはまだご老人方の記憶に残っているらしく、ホーロー看板の元所有者やその方の知り合いの方は全員旧町名の地番をおぼえているそう。僕に「私は大宮前6丁目○○番なのよ〜」と次次と言ってきましたが、平成生まれの僕にはなんのこっちゃだったので申し訳ないです。

実は杉並区には住居表示実施前に「大宮前」と「大宮町」が一緒に存在していた時期があります。距離が離れているので、やはり由来は異なり、それぞれ町内の神社が由来です。似たようなのがあると紛らわしいってこともあってか、住居表示実施前の「大宮前」時代にも学校名などに「宮前」という文字が見られます。杉並区は昔から紛らわしいものは略すの好きなのね。

 


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ちなみにバス停には何事もないかのように旧町名が書かれていました。

 

(64)[練馬区]谷原町(1~2丁目)

東京都練馬区谷原町(ヤワラチョウ)

【廃止年】1965年

【変遷】

  • 1932年 東京府板橋區石神井谷原町1・2丁目
  • 1943年 東京都板橋區石神井谷原町1・2丁目
  • 1947年 東京都練馬区石神井谷原町1・2丁目
  • 1949年 東京都練馬区谷原町1・2丁目
  • 1964年 住居表示実施①1丁目が富士見台になる。
  • 1965年 住居表示実施②2丁目が谷原、高野台となり、谷原町廃止。

【現在】

旧1丁目→富士見台(1964年成立)

旧2丁目→谷原、高野台(1965年成立)

【雑記】
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掠れて見にくいですが、「練馬区」の下の「谷」という字さえ分かれば、谷原町二は読めますね。番地は読めないが。

練馬区中部は古くから「ヤワラ」と呼ばれていましたが、住居表示実施の際に「ヤハラ」と改められてしまいました。また、その時に、谷原町2丁目の北側が現行の谷原として存続することとなります。何故そこが残ったのか、それは谷原小学校があったからだそう。ちなみに谷原小学校は今も読み方は「ヤワラ」です。

また、谷原町1丁目、現在の高野台にある「長命寺(東高野山妙楽院長命寺)」は古くは「谷原山妙楽院長命寺」と言ったそう。

谷原町の廃止は古く、谷原町だった範囲に見られるホーロー看板も「高野台」「富士見台」などと住居表示実施後のしかみつけられませんでしたし、表札も高野台で見つけたこちらしかみつけられず。まだあるのかなぁ。

 

 

参考…東高野山長命寺

(63)[台東区]浅草日本堤

東京都台東区浅草日本堤

【廃止年】1966年

【変遷】

【由来】浅草は浅草区所属だったから、日本堤は堤防の名前より。

【現在】日本堤1~2、東浅草1~2、千束4、浅草5

【雑記】
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浅草日本堤ってなんか趣のあるいい地名ですね。日本堤の由来は2本の堤があったからとか諸説ありますが、おそらく日本ってのは美化した程度なんでしょう。撮影場所は現在の浅草5丁目で、この他には浅草5丁目には浅草日本堤は見つけられませんでしたが、まだ他にも眠っているかも知れませんね。